野球史に残る五打席連続敬遠

監督の采配

甲子園でもっとも有名な敬遠といえば、やはり、1992年に行われた夏の大会での、松井秀喜の敬遠ということになるでしょう。

なぜ野球史に残るような有名な事件になったのかというと、敬遠が一回だけではなく、五打席連続、しかもランナーがいるときにも行ったからです。

松井は星稜の四番で、相手チームは高知の明徳義塾でした。明徳義塾の馬淵監督は松井をプロと同レベルの選手と考え、彼を完全に封じ込めることで試合に勝つという作戦に出ました。その封じ込めが全打席、歩かせるということだったのです。

結果、松井はランナーとして毎回出たものの、後続がどうしても打てず、馬淵監督のもくろみ通り、試合は明徳義塾の勝利で終わりました。ただ、甲子園は星稜の応援団を始め、野球ファンの抗議の声で埋め尽くされ、明徳義塾に対し帰れコールまで飛び出したのです。

世論も、「高校生なら正々堂々と勝負すべき」「歩かせることはルール違反ではないのだから明徳義塾の作戦勝ち」と分かれましたが、後年、メジャーリーガーになった松井は「あれがあったから、自分は有名な選手になることができた」と述べています。